新磯の神社・お寺

新磯の神社・お寺

【磯部八幡宮】
 この神社は磯部村の鎮守です。前には新磯の田んぼが広がり、後ろには相模線が通っています。神社がいつ建てられたか不明ですが、室町時代の初めにはその記録が残されています。境内には樹齢500年といわれる大イチョウがそびえ、石段を登ると神社が現れます。明治時代の初めまでは、修験道といって、火渡りや角力で修行をする人たちの道場でした。1月15日に行われる「どんど焼き」は、市内でも最大規模のものです。お祭りは9月5日です。八幡宮の本堂には、象の彫刻がほられています。それ以外にも竜の絵がえがかれています。本堂をでて階段をおりて左に行くと不動明王坐像があります。不動明王坐像は、前は赤色だったけど、もうさびてしまいました。不動明王坐像が持っている剣が以前盗まれたことがあります。八幡宮は、約400年前からあります。

【御獄神社】
 下磯部地区の中央にある神社です。このあたりには磯部城があったと伝えられています。室町時代の1477年、上野国(今の群馬県)を治めていた長尾景春は、関東地方を治めていた山内上杉定顕と戦いました。磯部城は景春に味方しましたが、厚木の溝呂木城などとともに滅ぼされ、関東地方は戦国の世へと移りました。この神社のお祭りは4月21日です。

【日枝大神】
磯部の四ッ谷地区にある神社です。鳥居の横にある大きな石は、近くの用水路にあったものを、苦労して運んだものだそうです。境内に大きくそびえ立つのは、椋の木です。秋になると、この木に椋鳥がやって来て羽を休めます。お祭りは4月21日です。

【日枝神社】
 上新戸の鎮守です。江戸時代には、雹(雷とともに降る氷の粒)から農作物を防ぐための「氷祭」が行われていました。境内にある第六天社は、戦争で陸軍士官学校(戦後は座間キャンプ)ができた土地にあったため、とりこわされてしまいました。しかし、新戸の人々の願いで、30年後に、この神社内に再建されました。お祭りは8月26日です。


【石楯尾神社】 
 石楯尾神社は,いつ造られたかはっきりとわかっていません。今の神社は江戸時代の寛政12年(1800年)に建てなおされたものです。磯部勝坂地区の鎮守として,集落を見下ろす丘の頂きにあります。鎮守とは、神様が鎮まり坐して守護するという意味です。鳥居をくぐると長い参道が続き,その先に121段にもおよぶ長い石段があり,それを登りきると石楯尾神社があらわれます。社殿の天井には「鳴き龍」が描かれています。

【白山姫神社】
この神社は、下新戸の鎮守です。建てられた年は不明ですが、徳川家康に仕えた関東総奉行の内藤清成の陣屋(屋敷)がこの地にあり、その陣屋のこわされた頃ではないかといわれています。お祭りは4月17日です。なお、内藤清成のお墓は、座間の宗仲寺にあります。

【有鹿神社】
 勝坂遺跡と鳩川の間にある有鹿谷からわき出た水は鳩川に流れ、磯部や座間市、海老名市で田んぼの水として、大切に使われてきました。海老名市にも有鹿神社があり、昔はここからおみこしをかついで勝坂まで来て、「有鹿様の水もらい」と感謝をしていました。

【勝源寺】
 正しくは金澤山勝源寺といいます。鎌倉時代に曹洞宗を開いた道元というお坊さんの流れをくみ、江戸時代の1629年に建てられました。このお寺の境内には、50年前の戦争でなくなった勝坂の27名の人々をまつる慰霊塔があります。春には白いツツジの花がきれいに咲きます。

【能徳寺】
正しくは磯平山能徳寺といい、鎌倉時代に曹洞宗を開いた道元というお坊さんの流れをくみ、下溝の天応院の末寺です。室町時代の終わり頃に建てられました。秋になるとお地蔵さんのまわりに彼岸花が咲き、並んだ石仏にはギンナンの実が落ちてきます。相模川の水を引いた五ケ村用水は、このお寺のすぐ近くから取水されています。

【常福寺】
正しくは本鏡山常福寺といい、鎌倉時代に臨済宗を開いた栄西というお坊さんの流れをくみ、鎌倉の建長寺の末寺です。境内にある「しばの木」(タブノキ)は高さ20メートル太さ4.7メートルあり、樹齢400年といわれ、「かながわの名木100選」に指定されています。 

【長松寺】
正しくは万年山長松寺といいます。このお寺は室町時代に建てられました。鎌倉時代に臨済宗を開いた栄西というお坊さんの流れをくみ、鎌倉の建長寺の末寺です。1396年に足利氏満という人が書いた「寄進状」という記録が残されています。この記録は相模原市の記録の中で最も古く、市の重要文化財となっています。

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更新日:2023年07月10日 11:59:08